『人類の自己家畜化と現代』感想。

人類の自己家畜化と現代

人類の自己家畜化と現代

 

尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』読了。国際日本文化センターの学際的研究プロジェクトの一環のようです(最近、同じプロジェクトの本『教養としての将棋』を読みました)。2002年刊です。原発事故以降であれば、もっと痛烈な文明批判が書かれていたでしょう。

犬、猫、牛、豚など、家畜化された動物は自然界とは異なる人為的な変化をしてきました。顎が小さくなるなど、家畜と人間の共通点を指摘して人間も自己家畜化したと唱える学者がいたそうですが、完全には人間と家畜の特徴は合致せず、忘れられていたようです。

尾本氏は、「メタファーとしての自己家畜化」として再提起しました。

 われわれ "文明人" と呼ばれる人類は、野生の動物とは比較すべくもない、いわば家畜と同じ存在であるという見方もできます。人類学では人類の進化を言い表す表現として、"自己家畜化現象" という言葉を用いますが、とくにこれは、自然淘汰の圧力から大幅に自由化した今日のわれわれにあてはまることでしょう。家畜はひとたび自然に戻せば生きて行くことはできないことが多いのです。今日のヒトも、科学技術という小屋と人工飼料にて保護されていますが、これは地球全体で莫大なエネルギーを費やしているわけで、ひとたびその補給がつかなくなればおそるべき結末をもたらすでしょう。(略)

自己家畜化とは「自分たちがつくった文明のせいで野生に戻れなくなった状態」のことでしょう。人間は物質文明を発展させてきましたが、気がつくと、もう文明社会のなかでしか生きられない。そして、そこを生きるコストは高い。

私が狩猟採集民の話を読みながら考えていることは、生態系から飛び出して我が物顔をする現代人を再検証することです。われわれが「これが常識だ」と教わった価値観、飼い慣らされてきたシステムがじつは転倒するかもしれないのです。 
 
学際的研究らしく人類学者・歯学博士・理学博士……など十人が執筆、現代社会の弊害、小さくなりすぎた現代人の口に生じている疾患、ペットと人の関わり、クローンと倫理の問題などなど、話題は多岐にわたります。川田順造のブリコラージュについては前回書いたとおりです。

井口潔「ヒトにとって教育とは何か」が個人的には面白かった。

 日本では「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」と当然のこととして受け取られているが、この考え自体が誤りである。「人間らしい人間になるのを助けるのが教育の原点」でなければならない。人間らしい人間になったら、その結果として役に立つようになるのである。そしてこれだけが真理なのである。

この立場からすると、教育は二つに分かれる、と井口氏は書きます。

「生存のための教育」=生得性の能力(感性)と、「生産のための教育」=物をつくる能力(ホモ・ファーブル)です。明治以降の教育は後者すなわち「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」でした。

さらに自己家畜化により価値観が固定化する危機から脱する知恵は、「役に立つ人間を効率よくつくろう」という従来の考え方から脱却し、生得性の能力、つまり「感性にかえる」ということだと続きます。《感性とは「人間として生きていく力」であり、これが一〇〇万年昔に猿と分かれた人間の最大の智慧だ》。

ふむふむ。年齢としつけを解説したくだりもそうだけど、贔屓の引き倒しか、私は狩猟採集民の教育を取り戻せ、と言われているような気がするんですよね。