『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

 

狩猟採集生活を知ると、私たちが常識と思いこんでいることが絶対ではないことがわかります。彼らは未開社会だから未熟で、現代社会のほうが進んでいる? いやいや、彼らにはたとえば鬱病がないのに、現代人は鬱になり自殺するではないですか。9月1日(今年は2日か)は、十代の自殺がもっも多い日です。学校とはなんだ。フーコーは学校を権力者による監獄だと考えた。イヤなら行かなくてもいいのではないか? 行かなかったら社会に受け容れられない? 生涯賃金が低い? 長時間働いても、ギリギリの生活になってしまう? どんな世の中なんだ、一体。

狩猟採集民は、私たちの社会を相対化してくれるのです。

奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』を読みました。タイトルからして軽い読み物かと思いましたが、哲学エッセイのような趣きです。面白かった。

ボルネオ島にすむプナンという人々の話です。彼らは1980年代までノマド(遊動)的な狩猟採集生活をしていましたが、いまは焼畑農業もしていて半定住型の暮らしです。彼らは文明の利器をしっており、マレーシア政府から学校に入ることをすすめられたりしていますが(多くの子は行かない)、いまだ狩猟採集民ならではの思考パターンをもっているらしい。著者は断続的ですが長期にわたって彼らと暮らし、われわれとは異なる彼らの生活や思考パターンの根源を形而上学的に考察します。

プナンの人々には「ありがとう」「ごめんなさい」「おはよう」「さようなら」などの交感言語がないと言います。いままで読んだ多くの狩猟採集民に、それらの言葉がない、もしくは少ない人々がどれだけいたことか。われわれは「きちんと挨拶しなさい」「ほら、きちんとお礼をいいなさい」と躾けられてきたのに……。

彼らはものを独占しません。獲物は均等に分けられます。

子どものころから、お菓子かなにかを手にした子どもは「みんなと分けなさい」と言われるそうです。所有欲は本能らしいけど、それを徹底的に削ぎ落とし、分配を教育されるのです。集団で生きるうえでの戦略なのかもしれません。いちばん尊敬を集めるのは、所有物をすべて与えて、なにも持たない人だそうです。

さらにプナンでは、モノ以外のことも共有されているらしい、と著者は言います。たとえば、かれらは「感情」を共有しているらしい。誰か1人が悲しいときはみんなが悲しい。殺す動物の感情も共有しているように思われる。動物は神話になる。

プナンの場合、知識や能力も、日本人と違って個人に属さない。プナン社会では、狩猟や漁労に関する知識や能力は集団で共有される。一方、日本では知識やスキルは個人のものであり、努力によって獲得したそれらで報酬を得る。競争でふるい落とされた人たちは心を病むこともある。

プナンには個々人の向上心や努力はないが、格差もない。

1億年の歴史を持つ熱帯雨林に、つい最近(4万2千年前)入り込んだ人間。彼らと獲物と鳥の関係や、カミの話題なども興味深い。

全体的に、著者はニーチェの考えを援用しながら現代社会にカウンターを与えます。過去にわりと読んだつもりのニーチェも、あらためて読み直さなければ。まいっちゃったな、課題図書がどんどん増えていく。