映画『新聞記者』・若者と選挙・サードプレイス

私、こないだからずっと日本の階級社会について考えています。女はなかなか参入できない男中心の父権的上下関係。軍隊的・ヤクザ的・部活的なピラミッド。

今日、映画『新聞記者』と「若者が選挙に行かない」という話題についてボンヤリ考えていました。どちらも《階級社会》というキーワードでつながる気がするんです。

今朝やっと映画『新聞記者』を見ました。ヒットしているようですが、平日の朝9時少し前からの上映ですから、観客は10人くらいでした。
 新聞社に舞い込んだリーク文書を追いかける女性記者(シム・ウンギョン)と、先輩の自殺を機に本格的に自分のいる組織を疑う内閣情報調査室の官僚・杉原(松坂桃李)の話。現政権で問題になった現実の疑惑がほとんどそのまま出てくるエンタテイメント映画です。不満もあります。たとえば、主役の記者と杉原の信頼関係がもっと丹念に描かれてもよかったかな。とはいえ全体的にスリリングで面白かった。杉原は正義のために権力者に抗うのか、それとも──。最後のシーンがわかりづらいという話がありますが、杉原と自殺した先輩の家族構成や二人の立場の相似、女記者とその父の記事の相似を考慮し、ラストの杉原の表情や口の動きを見逃さなければ、彼らの今後が明示されている気がします。多分ね〜〜。

小学校からずっと階級社会で飼い慣らされる日本人。就職後、会社と家の往復だけで何十年も過ごし、その組織ではそこそこ出世したとしましょう。読む物は仕事関連の本や、人心掌握術などのビジネス本。そんな人が、定年やリストラなどで階級社会からいきなりポッと放り出されたら、どうなるでしょうか。肩書きとともに力を失い、得意の人心掌握術も発揮できません。家にしか居場所がない、ということになってしまいます。

社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した「サードプレイス」という概念があります。家と職場以外の、心地良い平等なコミュニティをそう呼ぶのです。

日本はとくに息苦しい階級社会ですから、「社会的地位」とは関係のないサードプレイスを持つのがいいのではないかと思います。町内会やボランティアなどの社会活動、草野球チームへの参加やアマチュアバンド、趣味のサークルなど。偉い政治家のお宅で碁を打ったら、相手は「社会的地位」に忖度して負けてくれるかもしれません。でもね、碁会所では、偉かろうが無職だろうが、肩書きは関係ないのです。

もしあなたがマラソンやトレイルランナーであれば、たくさんラン仲間がいるでしょう。でも、誰がどんな仕事をしているかよく知らないし興味もない。余計な敬語も要らない。頑張って走ったあと、共通の話題で吞めば、それだけで盛り上がれるのです

『55歳からはじめるフルマラソン』を書かれた小説家・江上剛さんは、元エリート銀行マン。走り始めた著者が、まさしくサードプレイスを発見したことが記されています。

 男は、仕事の関係は多くある。しかし近所の関係はあまりないだろう。エリートと言われる仕事一筋の人ほど、その傾向がある。
 銀行の人事部にいた時、いわゆるお荷物行員(評価が低く、昇格が遅れている行員)の研修を担当したことがある。その時、彼らのほとんどが近所の子どもたちにサッカーや野球を教えていることに驚いた。
「そのエネルギーを、少し仕事に向けてほしい」と私は彼らに話したが、今思えば、失礼なことを言ったものだ。仕事の人間関係は上下関係で、仕事を続けてさえいれば、自然と出来上がる。しかし親友が出来る可能性は少ない。仕事が変わったり、大勝すれば自然消滅してしまうことが多い。
 一方、近所の人間関係は、自分で努力して作らねばできない。(略)私は、今まで努力を怠っていたのだ。今、やっとその努力を始めたというわけだ。

努力といったって、最初だけだよね。

俳句仲間、カメラ仲間、テニス仲間……踏み出せばどんどん増えていきます。

息苦しい世の中、第3のコミュニティで息抜きしましょう。

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

 
55歳からのフルマラソン (新潮新書)

55歳からのフルマラソン (新潮新書)