30年前の引率【狩猟採集民に憧れる理由 2/3】

間が空きましたけど、続きです。

 

私は中高一貫教育の私立に通いました。中学の最初のテストで成績が芳しくなかったので勉強はとっとと諦め、3年ほど将棋に熱中しました。将棋部の狭い部室には中学高校の6学年が混在しましたが、実力がものを言いますし、威張った人もなく、先輩後輩の関係は絶対ではなかったのです。

大学では寝たり起きたり酔っ払ったりバイトして本代を稼いだり論文を書いたりしていました。若かったゼミのC先生や仲間と煙草を喫っては生意気な議論ばかりしていたものです。C先生や同級生や後輩とはまだ飲みに行きます(先月も行きました)。先生とタメ口をきくのは私だけだ、とよく言われます。丁寧語くらい使いますよ。

就職した会社も、わりと自由に仕事させてくれました。

さいわい私は、日本的・軍隊的・運動部的な絶対的上下関係とは無縁に過ごしてきたのです。空気を読むとか、世間のルールとか、比較的気にしないほうです。

思い出したこと。

大学2年の7月、同級生Xが福島県2泊3日の短期バイトを募っていました。Xは大きな塾で小学生相手のバイト講師をしています。その塾で夏休みに小学3、4年生を対象に林間学校の引率する人をつのっている、というのです。

Xが提示した条件は「バイト代は最低2万円。働きに応じて上乗せする。倍出すこともあるかもよ〜」でした。査定するのはX自身とのこと。奴だってバイトのくせに、同級生を評価する?

Xに対する個人的な人物評は「威張っている。頭脳明晰ではない。附属校からの入学者で、附属組ネットワークを駆使しテストの情報を得るような世渡り上手」でした。そんな奴に査定されるのはごめんでしたが、迷ったすえ仲のいい友人はじめ同級生が何人も行くというので引き受けました。

 いよいよ当日。総勢百数十人の小学生を十数人のグループに分け、男女ひとりずつの大学生が担当します。私は初対面の女子大生とグループを受け持つことになりました。彼女、なかなかかわいい。気乗りしなかったど、案外楽しい3日間かも……?

子供がギャーギャー騒ぐバスのなか、彼女が私に訊きました。

「ねえ、mugibatake40ro(仮)くん、子供好き?」

ええっ? 出会ったばかりなのに子供が好きかどうかなんて……もしかまさか、君はボクたちの家族計画について話そうというの?「うん、まあ、わりと好きなほうかな……」と答えると、彼女は、

「あたし、嫌い」

と言って目を閉じ、眉間に皺を寄せます。

目的地に到着してから彼女の姿が消えました。聞けば、具合が悪いと言って帰ったんだとか。お大事に。私はひとりでグループを引率することになりました。

その日が何年何月何日かはググればわかります。夕食前、宿舎のテレビでオールスター戦を見たんです、清原対桑田の初対決。清原がライトにホームランを打ちました。

塾側の段取りが悪かったり指示系統に不備があったりして、初日からバイト連中はひそひそ不満を漏らしていました。私はXに文句を言うと、彼は「査定に響くぞ」というのです。はあ? 彼はバイトと雇用主の橋渡しになる気などなく、終始、雇用主としてわれわれに接しました。

午前2時くらいに小部屋に集められました。2人につき1本、小瓶のビールが出ましたが、そんなもん一口でなくなります。明日の予定などを延々聞かされました。追加のビールが出てくる気配はありません。

いちばん偉い塾の先生が「意見があれば遠慮せず言ってください」とひとりずつコメントを求めます。ところが、どうでしょう。あんなに不平不満を言っていた連中はお追従笑いしながら「いい人生勉強になります。感謝です」などと抜かすのですよ。

私の番になりました。「あれとこれとそれと、全部ひどいから明日は改善してほしい」と不満を吐き出しました。機嫌が悪いためイヤミな表現も使っちゃった。お開きのあと、数人が「よくぞ言ってくれた」と私の肩を叩きます。なんだよ、いい人生勉強になりますって、俺はお前たちにも腹が立つ

2日目。

宿舎は磐梯山のスキー場に面していました。食堂に集合した子供たちに、いちばん偉い先生が「植物採集をします。みんな、何種類あつめられるか、競争だぞ、それっ!」と発破をかけました。みんなワーッと外に飛び出します。冬になると雪に覆われる斜面を駆け登り、子供たちが草を摘みはじめました。その様子を眺めながら「国立公園でこんなことしていいのか」と囁くと、隣のMも「そうだよな」と頷きます。

予定よりずいぶん早く戻るように命じられました。なにごとかと思えば、いちばん偉い先生が子供に説教をするのです。

「こら、ここは国立公園なんだぞ。先生はひとり三種類しか採っちゃいけないと言ったじゃないか! ◎◎、君はなんだ、こんなにたくさん草を採って!」

先生はきっと管理人みたいなひとに叱られたんです。でもね、草をむしったのは絶対に子供のせいじゃない。子供たちよ、大人の横暴に立ち向かえ!……ん?……あれあれあれ、みんなうなだれて聞いてるじゃないか。君たちは本当に「三種類まで」と言われた記憶があるのかっ?

われわれ短期バイトは後ろに突っ立って聞いていました。私はブチ切れ、「この噓つきっ。植物をどんどん採れと言い、競争だぞ〜って煽ったのはあんただろっ」と叫び、目につくものを全部をぶちまけて立ち去りたい衝動をグッとこらえました。

説教が終わってからXに「いくらなんでもいまのはひどい」と言えば、返事は例の「ハハ、査定に響くぞ」です。「なんだ偉そうに。勝手に響かせとけ」と言いました。セコセコ単位取るような奴に威張られたくないわ。

腹の立つことばかりの3日間でした。子供は可愛かったけど

あ、ひとつだけ痛快なことがありました。2日目の夜のキャンプファイヤー。2番目くらいにえらい先生が、「みんなのひとつになった気持ちが炎となって燃えています」みたいなポエムを語っていたとき。

ドカーン、バリバリバリ!

轟音に振り返ると、猪苗代湖の花火大会が始まっていました。子供たちがハイトーンの歓声をあげます。われわれの立つ高台は絶好の鑑賞スポットでした。先生が「こら、見ちゃいかん」と向き直させますが、ドカーン、ドカーン、バリバリバリの連続だもの。あの爆音を無視できるはずありません。何度命じても子供たちは花火に見惚れます。花火の明かりが子供の笑顔を照らしました。ついに先生も諦めたようです。

最後まで打ち上げ花火を堪能してキャンプファイヤーを見ると火が消えていました。

みんなの気持ちが消えてるやん。私はアハアハ笑いました。

東京に戻って1週間くらいあとでしょうか。数人でつるんで、塾にバイト代をもらいにいきました。ほかのやつがもらった封筒には4万円やら5万円やら入っています。

私は2万3千円でした。

これでも勉強したんだぞ(まけてやった、という意味)みたいなことをXが言いました。お前が勉強したとこ、見たことないけどな。

俺は女の子のパートナーがいなかったんだぞ。そういえば、すぐ帰った彼女にも最低保障の2万円を払ったとXが言ってたっけ。不快な2万3千円。酒吞んでトイレに流してやりました。

なるほどたしかに「人生勉強」になったけど、あの後も理不尽なことをする人たちに黙って従えず、バイトでは何度かもめたなあ。

 教訓──権力に服従すると儲かるかもしれないが、そんな人生はゴメンだ